2023年6月2日カテゴリー:

節婦(せっぷ)之碑

今から300年くらい前の享保年間に大雨で日川の堤防が決壊したとき、今の一宮町田中に住んでいた安兵衛夫婦の妻である栗は夫の父(母?)を連れて避難させた後、引き返して病身の夫安兵衛を背負って避難しようしたところを濁流にのまれてしまったという悲しい出来事がありました。

後にこの言い伝えを聞いた神主が栗を「希にみる節婦だ」と感動して「節婦之碑」を一町田中の陣屋に建立しました。

碑文の書は甲府勤番支配を務め、能書家としても知られた一柳直敬(ひとつやなぎなおよし)によるものでした。

しかし、その碑は明治40年の大水害で流されて行方不明になってしまったということです。

現在山梨高校の校門横にある「節婦之碑」は、昭和5年に山梨高校の前身である山梨県立山梨高等女学校に併設されていた山梨県女子師範学校の久米卯之彦校長が、女子教育の素材として活用するために場所を移し、原文を模して建てられたものです。

身近にあるこの碑から、先人たちが残してくれた教訓や願いを学び、恐ろしい災害の犠牲にならないように一人ひとりが備えることが大切です。

【節婦(せっぷ)】:人としての正しい道をかたく守る模範的な女性

(参考 Wikipedia 一柳直敬)

今日は大雨のため、帰りの安全を考慮して授業を5校時で終了し、生徒はすぐに帰宅としました。